初めてのワイン蔵見学 取材報告  (by えつこ)

新潟県上越市   株式会社 岩の原葡萄園

第 2 話

 こ岩の原葡萄園は、明治23年(1890年)川上善兵衛によって拓かれました。ほぼ同時期に他2カ所ほどの葡萄園が開かれましたが、現存している最も古いワイナリーは山梨のメルシャン(旧大黒屋)で、この岩の原葡萄園は国内で2番目に古いワイナリーなのだそうです。
   
川上家六代目、この地の庄屋の長男として生まれた善兵衛は、当時弱冠22歳。ちょうどそのころ越後一帯は大雪や冷害のため、米がとれない状態が続きました。「このような凶作が続くのでは、米だけでは生活してゆけない。」米以外に果樹を栽培して農村の産業を盛んにしようと考え、自分の家の広い庭を開墾する事にしました。
    
善兵衛は、自ら鍬をふるって、代々受け継いできた庭園を掘り返してしまいました。そして、土地を深耕してぶどうの苗木9種類127株を植えたのが、岩の原葡萄園の始まりなのだそうです。
 このチャレンジ精神は、おそらく師と仰いだ勝海舟の影響を大きく受け継いでいたのではないかと言われています。
    

 上善兵衛が、葡萄園事業を起こした当時、日本産のぶどうは食用のため、ワインの醸造にはあまり適しておらず、善兵衛は欧米から多様な品種の苗木を取り寄せて栽培を試みました。ところが、日本の湿潤な気候下での醸造用ぶどうの栽培は困難を極めたため、病害虫に強く、日本の気候風土にも適したアメリカ種と、品質的に最も望ましいヨーロッパ種を品種交配し、今日わが国の醸造用の代表的な品種となっている優良品種を産み出したのだそうです。それらは、現在でも川上品種として受け継がれているのですが、その代表的な2つの品種が、銅像の脇に植えられていました。
  
垣根式で植えられていたそれらは、赤ワインに適したマスカットベリーAと、白ワインに適したローズ・シオターでした。   
 また、善兵衛は越後名物の雪を雪室(ゆきむろ)で秋まで貯蔵し、ワイン醸造時期に冷却に用いることで、当時としては極めて珍しい低温発酵を可能にし、高品質のワインづくりに成功したのだそうです。
 善兵衛にとってワインづくりは、貧しい農村に新たな産業を興し、田畑以外の荒れ地の最善の利用法のひとつであり、米の酒を一部ワインに替えることにより、国民の大切な主食である米を節約するという、国家的見地にたった事業であったようです。
 これらのような功績に対し、後年になって「日本農学賞」が贈られ、また、よいワインづくりは、よいぶどうづくりからと、ぶどう栽培とワイン醸造にかけたその生き様から『日本のワインぶどうの父』と呼ばれているのだそうです。
 フ〜ン!すごい人が、この雪深い新潟県の上越にいたんだね。

        …第3話につづく…

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