第5話

 おはようございます。きのうは試飲会の終了が午後10時半。その後僕たち家族だけがまっすぐホテルに戻り、お風呂に入って、寝る前のミルクを飲ませてもらいました。そうしている間に執事パパはお部屋の模様替え。ベッドを移動です。2つのベッドをくっつけてシーツを両方にかかるようにかけ直して準備完了。当然僕が真ん中。どこに転がってもベッドから落ちる心配はありません。
これは後で聞いた話ですが夜中に僕は大運動会。乳母ママの方に何度も転がっていったそうです。ですから執事パパはご機嫌。段々広くなり大の字になって寝ていたそうですが、乳母ママは大変。段々狭くなるベッドの端のぎりぎりまで耐えていたそうです。でも我慢しきれなくなると僕を中央に戻しまた寝るのですがまたまた僕は回転の繰り返し。これは朝食の時の写真ですが心なしか乳母ママが疲れているように見えるのは僕だけでしょうか?
僕のお寝坊のせいで出発時間は遅くなってしまいましたがそこは気の優しい執事たち。やさしく見守ってくれます。チェックアウトしながら執事たちの昨晩の話が聞こえてきます。最も遅く帰ってきた人が午前3時。東京の友人と飲んでいたそうです。それ以外は試飲会の後、呼び込みの兄さんにうまいラーメン屋を聞いて、旭川ラーメンを食べてきたそうです。その評価はお酒の評価と同じくバラバラ。この人たちの味覚は僕には想像できません。
さて、今日は薄曇りながらまずまずのお天気。今日も1日ガンバルぞ。
      
まず、ホテルから出ると、来るときには気が付かなかったのですが道路を挟んだ正面に石碑が立っています。池袋の地名の由来が書いてあるようです。


石碑の脇に豊島区の教育委員会の解説がありました。
     
 池袋地名の由来。
むかしこのあたりに多くの池があり、池袋の地名は、その池からおこったとも伝えられている。池には清らかな水が湧き、あふれて川となった。この流れはいつのころから弦巻川と呼ばれ、雑司が谷村の用水として利用された。
池はしだいに埋まり、水も涸れて今はその形をとどめていない。これは、むかしをしのぶよすがとして池を復元したものである。フーン。
 さて、僕たちはこれから今回の研修のメインとなるビール工場見学に向かいます。場所は府中市。
 新宿から京王線で約30分です。それにしても人が大勢。建物も大きなビルがいっぱい。電車もどんどん来ます。僕は目が回りそう。それでもようやく京王線で府中駅の次の分倍河原駅に到着しました。
駅を出て、陸橋を渡ると小さな駅前ロータリーがあり、この辺からビール工場行きの無料送迎バスが出ているようです。どこかにそれを示す看板はないかな? ・・・ありました。
       モルツのマーク。
そうです。今日おじゃまするのはサントリーの武蔵野ビール工場です。
送迎バスは1時間に2回。毎時20分と50分に駅前を出発し、工場との間を循環しています。
ちょうどタイミング良くすぐに例の黄色いバスがやってきました。
    
さっそく記念撮影です。小さくてわかりにくいかも知れませんが乳母ママはとてもご機嫌な顔をしています。
この工場は1963年に醸造を開始した、サントリー最初のビール工場だそうです。今回は通常の一般見学としての内容ですが、次話から「えつこの始めてのビール工場取材報告」としてお送りします。   …つづく…

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